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  1. 仙台市議会 2007-10-22
    地域経済活性化調査特別委員会 本文 2007-10-22


    取得元: 仙台市議会公式サイト
    最終取得日: 2021-07-24
    1:                 ※会議の概要 ◯委員長  地域経済活性化調査特別委員会を開会いたします。  説明員の出席についてでありますが、本日は経済局次長ほか関係職員の方々に御出席をいただいております。  本日の日程は、お手元に配付の日程のとおりであります。本委員会では本年度のテーマを地域経済活性化に向けた環境づくりについてとして調査を行うことにしておりますが、本日は東北大学名誉教授中塚勝人様をお招きし、お話をいただきます。  中塚名誉教授からは45分程度お話をいただき、その後15分程度を質問の時間にさせていただきたいと考えております。なお、中塚先生からは、どうぞ活発な御質問、意見交換ができればありがたいということでございますので、一応15分とは申し上げましたけれども、先生の御都合の許す限りお時間をいただくことになっておりますので、お願いいたします。  それでは、東北大学名誉教授中塚勝人様を御紹介いたします。  先生、本日は御多用のところ御出席ありがとうございました。委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。  私から簡単に中塚名誉教授の御紹介をさせていただきます。  中塚名誉教授は、1964年に東北大学工学部を御卒業後、66年に東北大学大学院工学研究科修士課程を修了、78年に東北大学大学院工学部助教授、87年に工学部教授になられました。97年に大学院工学研究科教授、2000年に大学院工学研究科長、同大学未来科学技術共同研究センター長、2002年に東北大学副総長、2005年に東北大学総長顧問名誉教授となり、多くの要職をお務めになられました。  主な研究としては、磁性流体の研究、地熱地域地下構造の亀裂のフラクタル性の調査とコンピューターによる貯留層のモデル化の研究、岩石熱水反応の研究など、公表論文は142編に及んでおります。  仙台市においてもイノベーションプラザ宮城総館長をお務めになられるなど、さまざまな立場から市政に対してのアドバイスをいただいております。  皆様のお手元に中塚名誉教授の略歴書をお配りいたしておりますので、後ほど御高覧いただきたいと思います。  それでは、中塚名誉教授からお話をお伺いいたすわけでございますけれども、着席のまま進めさせていただきますので、よろしくお願いいたします。  それでは、中塚先生、よろしくお願いをいたします。 2: ◯中塚勝人参考人  中塚でございます。どうぞよろしくお願いいたします。  私の話は今までの自分の経験をもとにいろいろとお話をさせていただきますが、あらかじめお断りしておきますが、余りまとまっておりません。つまり、産業支援という課題はそれ自体まとまったものがなくて、いろいろなところを勉強しながら、原則はこう、それからケース・バイ・ケースでこう処理していくとか、そういうことでやっていくものではないかと思っております。それを学の立場から見てきた経験を申し上げるということで、いろいろ首尾一貫しないところがあるかと思いますが、それについては後で御質問でいろいろと聞いていただければと思います。どうぞよろしくお願いいたします。  それでは、座ってお話しさせていただきます。  ただいま渡辺委員長さんから私の紹介をいただきましたが、さっきは役職をずらっとお読みいただいたんで、その前に私のバックグラウンドがどんなものだったのか、ちょっと簡単に自己紹介させていただきたいと思います。  私、昭和39年、1964年に東北大学の工学部の鉱山工学というところを出ました。鉱山工学というのは、山に行って、地下に役に立つ鉱石が幾らあるか調べて、そこから掘って道路をつくって精錬所に送っていって幾らお金が入るか、かけたお金は幾らで利益は幾ら出るのかということをやる仕事であります。  私のやりました仕事は、鉱山といっても白物でございます。昭和39年に卒業したんですが、そのときに卒業論文で与えられたテーマが珪砂の研究、ガラスの原料の粉です。これはバックグラウンドがありまして、日本が旭硝子を筆頭にどんどんガラスを生産すると。原料は国内産の資源を使ってきたわけです。主に瀬戸地区の珪砂を使っていたわけですが、これが非常に枯渇してきたと。それを補うためにベトナムのカムラン湾から大きい船で高品質の珪砂があるというので、砂ですくって日本に持ってきていたわけです。ところが、ベトナム戦争が始まって、カムラン湾には危なくて入れなくなってしまって、したがってガラスの日本の生産システムが余り長続きしないということで、何とか代替技術をつくらなければいけないということで、昔東北開発株式会社というものがあったんですが、そこが最上川の流域にたくさんの珪砂があるけれども、ただ品質がよくない。これを品質を上げて使えないかと、そして将来的には山形のあの地域にガラス工場をどんどん持ってきたいという壮大な計画がございまして、それの研究委託を受けてやったわけです。
     やったのは、珪砂を持ってきて、その中に主にできているのは石英という石と長石という石、それを分けると。分けて珪砂のSiO2の純度を99%以上にするとガラスをつくれるんですが、その分ける研究をやりました。それなりの成果が出ましてやったんですが、やはり最上川流域というのは川砂なものですからまとまっていなくて、いいところがあったり悪いところがあったりと、非常に開発が難しい。そういうことでもたもたしていたら福島県の小高地方というものがあるんですが、そこに非常にいい珪砂がありまして、そこに工場をつくろうということで、月3万トンの工場をつくりまして、私助手でずっと5年ぐらいの間そこへ行っていろいろやったんですが、結構うまくいっていたんですが、最後に土地バブルで会社の本体が赤字になって閉鎖してしまいました。その後旭硝子が直営でしばらくやっていたようですけれども、今はありません。そんなテーマでやった。  それから、大学院を昭和41年に出たんですが、そこではマグネタイトという鉄の酸化鉄、磁石にくっつく酸化鉄ですが、それを水の溶液からつくると。溶液といってもいっぱい鉄を含んだ廃水です。そこからマグネタイトを回収して廃水問題を処理すると、河川問題を処理するという研究をやりました。  酸化第一鉄の水溶液でして、どういうところから出るかというと、秋田県の亜鉛製錬所、亜鉛の鉱石を持ってきて亜鉛をとろうとして、硫酸で溶かします。そうすると、亜鉛と鉄の溶液になって、亜鉛より鉄の方が多いわけですが、亜鉛はとるけれども鉄は捨てなければいけない。これが簡単に捨てられない。  それから、岩手県の旧松尾鉱山から北上川に硫酸第一鉄の溶液が相当流れ込んでいて、御存じのようにずっと北上川が真っ赤だった。あれをもとの溶け出しているところで処理できないかという問題。あるいは、石原産業という会社があってチタンをどんどんつくっていて、チタンの生産量がふえていったわけですけれども、チタンをつくるためにはイルメナイトといって鉄とチタンの酸化物を硫酸で溶かします。チタンはとるんですが、鉄が余る。それを製鉄所に持っていっても採算がとれない。それを何とかできないなということでやってまいりました。  用途としては、バリウムフェライトという磁性材料とかソフトフェライトの原料、あるいは磁気テープの原料にそれを使うような形で回収できないかということで研究をやりました。これ特に磁気テープの研究は、当時ソニーとの研究でありました。先ほど磁性流体の研究という私のテーマがありましたが、ここから派生して磁性流体の研究が展開されたというわけです。北上川は今非常にきれいですけれども、あれは国土交通省金属工業事業団等が努力して、非常に国が大きな金を使ってやったんですが、もとになる技術は我々も非常に関係しておりまして、それなりの役に立ったんではないかと思っております。  その後は助手になりまして、今のような珪砂の研究とか砂鉄の研究とか磁性流体の研究等をやっておりまして、その後助教授になってちょっと専門変更いたしまして、地下の鉱山の資源探査の研究室に移りました。そこでは鉱石を探すのと、それから地熱発電所をつくって電力を、東北地域は非常に多いものですから、とろうということで、全国の地熱調査活動をNEDOが始めまして、その辺の関係の仕事をやってきました。  中身は電気探査技術といって、地面に電極を打ち込んでおいて、発電機で電流を地下に流すんです。電圧、電流をはかって抵抗がどのくらいあるかというので、いろいろな電極配置してやりまして、地下の三次元的な抵抗構造というものをつくることができます。それから地熱のあるところを見つけ出すというようなことをやってきました。  それから、応用研究としては先ほどの磁気テープの研究に関連いたしまして、秋田にあった同和鉱業という企業とソニーと、それから大学の共同研究で、8ミリビデオカメラというものをソニーが第1号として出したのを御存じかと思いますが、その8ミリ用に使う磁気記録用の鉄粉の開発の研究をやっていました。大学がその開発の基礎研究、それから同和鉱業という会社が岡山で生産研究、それからソニーがそれをテープに仕上げることとカメラをつくるということをやって、それをやっていまして、松下とかいろいろなところと競争をやったわけですが、ソニーが第1号で出したということで、これのお手柄が実は今ソニーの社長の中鉢さんの最初の仕事で、彼はそれで社長賞を受けて、そこから彼は芽が出たというか、注目されるようになった。そういう経歴がございます。  そんなことで、いろいろそういうふうに産業との連携の研究をやってきたわけですが、平成12年に工学部長になりまして大変な目に遭いました。大変な目というのは、急に研究から経営に仕事が変わったという意味で大変であります。平成12年、2000年というのは御存じのように大学改革の嵐が吹き荒れた年であります。どういうことかというと、1980年代に日本は経済が物すごく好調であった。企業は大学入試でいい大学に受かった成績を持っているような学生を欲しいと、学生は大学では適当に遊ばせておいてくれればいいですと、元気つけてよこしてくださいなんて言っていた。ところが、バブルが1991年ごろ崩壊しまして、それから失われた10年と、もう最大の不況になりました。その結果、2000年ころには産業界の声は、このように日本が悪くなったのは大学がだめだからだと、子供たちがよく勉強できるようになっていない。皆さんもそのころどういう年齢だったかあれですが、産業界は都合悪くなると何でも言うわけでして、例えばアメリカを見ろと。アメリカはビル・ゲイツが1985年から95年ころ、どんどんいい仕事をして、コンピューター産業を生み出したではないか、日本の大学は何をやっていると言うわけです。ビル・ゲイツは大学じゃなくてIBMの人だったんですが、日本ではそれは大学がやらなければいけない、研究成果が出ていない、それから学生のできが悪いと。それから、大学はもっと産業を助けろということで、そのためには大学を今のありようではだめなんで変えろという、そのときに学部長になったわけであります。  いろいろと苦労をいたしまして、これからお話をします、これ東北大学は産業と大学、あるいは地域と大学を結びつける専門の仕組みをつくらなければいけないということで、未来科学技術共同研究センターをつくった、それをどう動かすかということを一生懸命やってきたということが実態でございます。  東北大学の今度は副総長として本部に行ってからは工学のことばかりやっていませんので、大学が特許を今度所有するという方向になってまいりましたので、特許システムを導入すること、それからもう一つは、地域との連携のシステムをもうちょっときちっと形にしなければいけないということで、今御存じかと思いますが、ラウンドテーブルという4代表が集まる会があります。昔のいろいろな事件の後そのままになっていたものですから、いろいろと整理をして、4人が集まっていただいて地域の問題についてお話をしていただくという会をつくろうということで、東経連、市、県等と話をして、何とかこれを皆さんのおかげで実現することができました。  それからもう一つ、大学の先生が地域に貢献するには、私も来たことがあります、いろいろあったんですが、県とか市がいろいろな研究会、プロジェクトを持ちますと、学識経験者として呼ばれて、こういう案があるけれどもどう思うかという形でやっていたわけですが、いろいろやってきましたが、やはりこれではちょっと足りないということで、県と市にお願いしまして、大学の教授の席を、机を役所の中に一つ置いてほしいと。ほんのわずかでいいから、やはり特別の手当を給与の形で払っていただきたい。そして、要するに市の職員と同格の責任感を持って仕事をやっていただく。大学の教授には週に1日でも半日でもいいから行って、常に地域で何が動いていて、どういうことかいうことを認識した上での協力ということをやってもらいたいということで、教授の派遣制度を提案いたしまして、幸いこれを受け入れていただいて、今仙台市にも何人か来ているかと思いますが、やっております。  その後、平成17年3月に、先ほど御紹介のとおり、理事を退官いたしました。これで少しゆっくりできるかなと思っておりましたら、未来科学技術共同研究センター未来情報産業研究館というものがありまして、大見教授が大型の産学連携プロジェクトを推進しておりまして、大見教授がこういう仕組みをつくったのはおまえでおれを乗せたんだから、退職したからといってそう簡単にのんびりゴルフやっていてはいけない、手伝えという話になりまして、それではお手伝いいたしましょうということで、特に未来情報産業研究センターの抱えている大型産学連携の具体的問題についてお手伝いしましょうということで、今東北大学未来科学技術共同研究センターのアドバイザーという形でことしの5月から仕事をしているというわけであります。  それで、この絵をごらんいただきたいと思います。「産学連携の発展と東北大学の動き」、先ほどの動きを大体順を追って書いてございます。  左の方に国の動き、法律の制定の動きでございます。1998年、大学等技術移転促進法というものができました。それから、1999年に産業活力再生特別措置法というものができました。いわゆる日本版のバイ・ドール条項。バイ・ドール条項というのは皆さん御存じだと思いますが、アメリカで1980年代にアメリカ産業を何とかしようということで法律を整備した、それと同じものを1999年に日本は整備したわけであります。それから、さらに2000年に産業技術力強化法で、特許を大学が持っていいという法律を整備したわけです。  これらに合わせまして、1998年に東北大学は、従来の研究所じゃなくて、企業と大学が連携するための技術共同研究センターというものをつくりました。同時に、ここから出た特許を、当時はまだ大学は持てませんでしたから、テクノアーチという株式会社をつくりまして、これが透明性を確保しながら、出た成果をもって企業のために役立てていただくという仕組みをつくりました。それから、2002年に工学研究科技術社会システム専攻、つまり技術・エンジニアリングと、技術者の仕事と、それから経営の仕事、これを両方できる人材をつくろうという専攻をつくりました。また同時に、このセンターの分館として今の未来情報産業研究館というものをつくりました。ここは主にコンピューター産業と大学がどういうふうに連携していくかという仕事であります。そして、本部に参りまして研究推進知的財産本部、特許を大学が扱えるシステムをつくりまして、それで翌年東北大学が法人化したわけであります。ここで私、2005年に退職いたしまして、今は今度庄司理事になりましてから産学官連携推進本部をつくり、それから大学連携型起業家育成施設というものを青葉山につくって、今こういう形で進んできております。  その間何を整備したかといいますと、それが次の絵であります。これはNICHe未来科学技術共同研究センターを中心として整備を図ってきたわけですが、まず一番基本になるのが研究と教育、Research and Educationであります。そのためには研究シーズをつくる、それから人材を育成するという仕組みが必要です。学部大学院に、研究所に、いろいろな意識改革を働きかける。それから、今の技術社会システムという新しい経営をできるエンジニアをつくるという専攻をつくる。それから、先ほどのベンチャービジネス、今までにありましたベンチャービジネス・ラボラトリー、ドクターコースの学生が企業と一緒に連携して勉強するというシステムがありました。これをこの中に取り込むということをやっております。それから、これがいわゆる最初の権利化とか、一番技術の目的の基本になるシステムです。それから、次が産学連携のためのR&D、Research and Developmentで研究開発センターをつくる必要があるということで、未来科学技術共同研究センターをつくりました。それから、テクノロジーインキュベーション等が必要ということで、これを整備していったわけです。この段階で製品とか市場性とか創業という段階の問題に取りかかれる準備をしていったわけであります。  次がビジネスインキュベーション、インキュベータ、それからイノベーション、そういうビジネスを創成していく中で、未熟ながらベンチャービジネスの芽を出させて、そしてそれを事業のリスクを軽減して、ベンチャーの人たちがある程度頭をちょっと出せるという施設が必要だということで、ここにありますように、まずEarly Stage、その初期段階としては大学の中に、あるいは大学の近くにこれを置く必要があるということで、あおばインキュベーションスクエア、もとの金属博物館の跡の施設、仕組み。それから、今私そこにおります研究成果活用プラザ宮城、これ仙台市さんにもいろいろとお世話になってできたわけですが、そういったもの。それから、中小機構大学連携型インキュベータ、これはことしできた組織ですが、こういったものの立ち上げを図りました。  次にMiddle Stage、もう少しベンチャー事業リスクを軽減させてやるものとしてICRのインキュベータ、それから21世紀プラザインキュベータ、中小機構の新事業創出型インキュベータといったものを今連携して整備、既存のものはこの中に組み込んで連携してやっていくという、ここら辺までできるようにしたわけであります。  ここの段階までにベンチャーができるわけですが、この間にできたベンチャー東北大学は52社のベンチャー大学関係からつくっております。全国で1,590社できておりますので、その中の東北大学の分が52社ということで、全国では第7位ということであります。  ここでできたベンチャービジネスをさらに強くひとり立ちさせていくためには、今度はリサーチ・パークが必要であります。これは大学の中あるいは近くにもう少し大規模な企業展開ができる、つまり市場参入ができるような製造販売技術、それから人材の採用、それから設備・創業資金の確保という仕事をやるリサーチ・パークが必要であります。これは、青葉山のゴルフ場跡に大学の一部が移転して、その中にかなりの場所を割いてリサーチ・パークをつくっていこうということで、今構想中というのが産学連携システムの構築の現状でございます。  さて、そういう中で、先ほどNICHeというこの組織がこの辺を主導してやってきたわけでありますが、ベンチャービジネスの話は今既にしましたので、この中で大きい未来情報産業館がかかわった仕事について簡単に説明させていただきます。  未来情報産業館は、大見教授の講座に各企業が投資をいたしまして、この建物全部、国からは一文もお金建物には入らなくて、企業約100社の投資でもってこの建物、クリーンルームができました。非常に立派なクリーンルームでございます。大見教授はウルトラクリーンテクノロジーという半導体製造技術を生み出した世界の元祖でありまして、その後インテルがこの先生の指導を受けて巨大な企業になったという歴史を持っております。残念ながら日本の企業は大見教授に指導を請わずに、余り信用していなかったということのようであります。  この先生がずっと工学部でやってきた成果を使って、企業と半導体産業を立ち上げて強化していくという研究を今やっているわけです。メーンは三つあります。大型のテレビプロジェクト、これはもう既に御存じだと思いますが、低消費電力の次世代ディスプレーをつくるという研究をやっています。これは、東京エレクトロンと、それからシャープ等を中心に組んでやってきました。それから、もう一つは高密度プラズマプロジェクトマイクロ波で励起した高密度プラズマを使いまして、省エネルギー型の半導体をつくるという研究であります。それから、もう一つがDIINプロジェクトと言っておりますが、この技術を使って半導体の表面を酸化して、あるいは炭化して、あるいは窒化して、半導体技術の新しい芽をつくっていくというプロジェクト。三つのプロジェクトをやっています。  これがそれぞれ成果を上げてまいりまして、この大型テレビプロジェクトは、今亀山にありますシャープの生産工場にこの技術を全部移管いたしました。一応大学の役割としてはもう既に終えたと。シャープは極めて好調でありまして、その後堺に第二工場をつくるという状況に来ております。今動いておりますのは、このDIINプロジェクト高密度プラズマプロジェクトをベースにしたDIINプロジェクト。世界の半導体生産技術のトップを行く会社をつくろうというプロジェクトであります。既に皆さん御存じかと思いますが、半導体産業東京エレクトロンが大和町の地域に世界一の工場を持ってきたいと。当面は半導体のエッチング工場なんですけれども、それに先ほどの高密度プラズマ装置の実用化を目指して、半導体の処理装置、半導体をつくる機械をつくる会社です、そういう工場をここに持ってきたいというわけであります。  これまでの半導体の進歩を見ますと、初めて半導体というものができたと、大量に生産したいということになると、その半導体をつくる機械、装置をつくる会社を立ち上げるわけです。そのためには半導体の製造会社は一生懸命日参して、半導体製造技術がどうなっているか、どういうものをつくったらいいかということを勉強して、そして納めるというのが実態だったですが、半導体をつくる基礎技術というのはどんどん高度化していって、今は新しい半導体をつくろうとしたら、どういう装置があるか、装置の方が先にあるんです。その装置を使って半導体をつくる技術の組み合わせをどういうふうにやるかというのが先端ということです。ですから、インテルであるとか、あるいは東芝であるとか、こういうところは半導体をつくるんです。装置を買ってきて半導体をつくる。そのつくる装置をつくっているのは東京エレクトロンで、これ今シェアでは世界1位と2位の間くらいなんです。物によって1位、物によって2位というところに来ています。この会社がこのたび東北大と連携をベースにして、ここの地域に、それからもう一つはここに非常に場所がある、それから運輸交通の便がいい、それから人材が豊富であるということで、ここにほれ込んでつくろうという決意をしたわけであります。  当時のそのときのNICHeセンター長中島一郎先生は、これを機に半導体の製造装置をつくる、装置をつくるためにはいろいろな部品が周りに必要であると、そういう部品部材工場をここに集めるということで、仙台を世界の半導体のリーディングプレースにしたいという意向を持っているわけです。半導体というのは、どんどん時間がたつとシステムが変わっていって、製品そのものが変わっていきます。しかし、それは進化して変わっていくわけで、それをつくる装置、それから原材料体制を世界の中で仙台地域に置けば、ここは世界の拠点として、あるいは日本が世界トップの半導体のリーディングカントリーとしてやっていけるということで、これをやることが大変愉快だということであります。  さて、そういうことで当面、平成22年をめどに工場も持ってくるということになっているんですが、規模……ちょっと述べさせていただきます。ことしの7月の、もう既に終わったことですが、仙台市の泉に東京エレクトロンが出資して、先ほどのプラズマの新技術を実用化する研究所をつくりました。従業員が70名であります。資本金が1億円で、東京エレクトロンが全部出資したわけであります。これには、仙台市内にありますので仙台市が面倒を見ていただかなければいけないわけですが、70名の研究者が東京エレクトロンから集められて、もう既にこっちに来ております。今一生懸命研究を始めているというところでございます。その成果をもとに、今度先ほどの大和の方に今つくるエッチング工場をさらにこれから進化させて、世界の拠点になるような半導体の装置製造システムを持ってきたいというふうに言っているわけです。  まず、そのエッチングの工場を持ってくるために、人員としては約1,000名。うち500人を既存の企業から持ってくる。それから、約500名をこの現地から採用するということであります。3年後。立地については既に決まっていて、県知事にも申し込みをしたと。それから、エネルギー、電力とか水についてもそれなりの手配がもう既にできている。土地、電気、水、この辺は進んでいる。  次は、問題は輸送システム、これから半導体製造装置をここでつくって世界じゅうに送り出すわけです。そうなると、どうやって運ぶかというのは非常に重要であります。まず、工場から道路を使います。それから、物によっては空港から飛行機で行く、あるいは港湾から船で行く。もう海外をターゲットにしていますが。このシステムがどうなっているかというと、私はお手伝いすると決まってから、まず最初に調査を始めている状況です。  それから、次に工場をつくって、当面は1,000人ということですが、うち500人はよそから来る、500人はここから採用する。その人たちの居住環境というのはどういうふうになってくるんだろうと。それから、既にでき上がっているエンジニア500人がよそから来るとなると、当然家族がついてくる。居住とともに、そのお子さんは一体どういうふうな、高校生がいるかもしれない、中学生かもしれない、小学生かもしれない。そういう人たちは地元に編入できるんだろうか。当然恐らく学位を取ったり、いろいろな知的レベルからいったら割合高い人たちで、一体うちの子供はどういうところに入れるんだろう、どういうところで受け入れてもらえるんだろう、これは非常に大きな問題になる。  実は、ちょっと余談になりますが、東北大学でユニバーシティプロフェッサーシステムというものをつくりました。総長よりも高い給料で、ノーベル賞をもらった研究者を呼んでこようと。何人も候補者がおりまして、有力な教授は親しい人もおりまして、いろいろと話を伺っているんですが、1人もまだこっちへ子供を連れて定着していない。それは子供の教育の問題だと。ここにはアメリカンスクールがないんです。英語の小中学校、高校があれば来るんです。これはもう幾らお金をつけてもだめなんです。ないものは。そういうことで、いや3カ月ぐらいで単身で来るよとかと来て、講演したり講義したりして帰っていくんですけれども、やはり奥さんと子供が来てそこに定着していく、それでここの地域で研究していこう、あるいは子供もここは好きだというふうにならないと、本物の国際拠点にならないということであります。  一方、国内から移ってくる人も昔は、例えばエプソンの前の社長、伊藤さんという人の話では、あの方は父親が仙台に来たんです。それでお子さん、伊藤さんはお子さんで、入るところは一高、二高は入れてくれなかった。もう定員がいっぱいだと。それで仙台高校というところに入学された。そういう人たちがいっぱいいたんだそうです。いっぱい。しかし、だんだん次の子供さんは一高、二高を受ける。仙台高校は一時そういう優秀な人が出たんですが、その人たちはよそに行ってからいろいろ社長をやったり、いろいろしているんですが、高校はどんどん一高、二高に入れるようになったんで移っていったということで、よそから来ると、この地域は定員いっぱいだということで学力に応じた編入学ができない。これは非常にマイナスで、どうしてもそうすると子供さんは東京に置いて、だんなはこっちに来て仕事やって、奥さんは両方見るために東京とこっちという生活にならざるを得ない。それだとなかなか地域に定着しないんです。そういうことをやらなければいけない。  そうすると、恐らく幼稚園、小学校、中学校、高校、この辺を日本人の人に対してはどういうふうに受け入れる余裕をつくっていくか。多分、先ほどのように東京エレクトロンで1,000人が来ると、そのために何十人の子供さんを受け入れなければならないとなると、やはり地域のそれぞれの対応する学校の定員を見て、もし足りなければ教員を多少ふやすというような、地域がそういう協力をしていかないとなかなかうまくいかないんじゃないかなと思います。  外国人についても同様ですが、外国人は特に小中学校の設置法、外国語教育の設置法の関係があって、かなり強力にその地域と大学等がよく組んで、そして国とも相談しながらそういうものをつくっていかなければいけない。ところが、東京とか神戸なんか、横浜も現実にあるんです。あそこへはいい外国人が住むんです。地域になるとなかなか住まない。これはぜひ検討していただかなければならないと思います。  それでは、まず先ほどの輸送システムについて。これは既に皆さん御存じだと思いますけれども、今度仙台北部道路というものがここにできます。大和町というのはこの辺です。ここにそういう新工場ができていくわけです。製品を運び出すとなると、陸路、港からで、あるいは東京に持っていくかもしれません。今は東北自動車道を使っていますが、平成26年には常磐道も完成するそうです。それから、南部道路と北部道路があって、北部道路の仙台新港ですか、今の仙台港区というんですか、そこにはさらにインターをつくるという予定で、もう工事が始まっています。  したがいまして、陸路はここまで、それから空港もすぐつながっておりますので、空路、海路、それから陸路、この辺はつながっているんです。問題は、仙台の港は一体どのくらい送り出せる状況になっているのかというと、ここがまだよく検討しなければいけない状況になっております。  この辺については既に御存じだと思いますが、日経新聞の、日銀仙台支店が仙台の港湾を利用して輸送費を節減をしたらどうかという提案を出しております。ここではこの港湾を使うことによってコストを3分の2くらいに削減できるというようなことを言っています。今これは東経連もこのことで一生懸命計画を進めるというふうに言っているわけであります。  ちょっとこの港湾の問題を整備しようとすると、実はなかなか難しいところがございまして……。こういう記事があると思うんです。ちょっと見ていただきたいと思いますが、実は九州で北九州市でこういう話でもって、韓国に負けない大きな立派な港をつくろうというんで、現実につくったんだそうです。40フィート、12メートルの長さのコンテナを入れられる非常に立派な施設をつくった。ところが、ほとんど動いていない。お金はいっぱい使ったけれども、動いていない。具体的に見ると、ずっとその対岸の釜山が立派な港をつくって、世界とつないでいる。したがって、韓国の、あるいは日本でも主要なもの、それからロシア、中国、そういったところの重要な輸送物質は釜山に集まって、釜山から世界に出ていくというルートがついているんです。その向かい側に大きな港をつくっても、船は来ないと。北九州から世界に出すためには、韓国とかロシアとか、そういうところから来る品物をあそこに一遍集めなければいけないということで、非常に難しいという話が出ております。  仙台の場合も、日本国内から出たものを世界に送るシステムを考える必要がありますけれども、今度は海運業として大きなものを夢を持つと、世界の物を持ってきてハブにするという仕組みが必要になります。そのためには定期航路をどれだけ持っているかとか、いろいろなもっと大きい問題が出てくるんで、やはり地域を興すために今、東京エレクトロンの話をすれば、東京エレクトロンの産品が出るためには最低限どれだけのものが必要かということをきちっと読み切って、それができるものを考えないといけない。さらに、最近自動車も出ております。もし自動車を世界に運ぼうとしたら、入れ物がコンテナとは違うんです。そうすると、港の深さが違う、船の大きさが違う、それから運ぶ場所によって連絡している貨物航路のコネクションが違う。それを全部研究して、それにはどういうものが必要だ、それで今のものを最低限どういうふうに改良していけばいいか、そういう研究をしなければいけない。  やはり地域の共同体や、既に議員さんの間で委員会を、「おれは港の係だ」とか「おれは空港の係だ」と、そういうようなチームをつくって、そういう研究をしていないと、いきなり今度トヨタ自動車の話が来たと、東京エレクトロンでこういうふうにしようと思っていたって、自動車だったら全然役に立たないです。こういう問題が起こってくるわけです。その辺、地域はよく研究をしておいていただく必要があるんじゃないかというふうに思います。  それから、ついでに出たあれですので、この記事があります。これは日本セラテックの川田社長が、ここから一部上場した企業としては久々のことなんですが、これは先ほどの半導体の装置のいろいろな部材関係で、先ほどの大見教授の研究室と「こういう部材がほしい」、「こういう部材がほしい」ということで共同研究をずっとやって、その結果、ここで金を投資してできた品物は全部売れている、利益も上がっていると。要するに、ロマンチックに大学と何か新しいものを見つけ出したいんでお金を出して研究しますというスタイルではなくて、こういう半導体の製造装置をつくりたい、そのためにはこの特製の部材が必要と、それはあなたの会社が非常に近いんで一緒にやってくださいという形で、そういう使命型のトップ型の共同研究をやったためにこのセラテックは大きくなって一部上場ができたという記事であります。やはり、産学連携を進めるためには、そういった企業が必ずある覚悟のもとで始めたら収益を上げることができる、そういうタイプの研究をやっていく必要があると思います。  それで、ちょっと時間が45分になりましたので、最後にこの地域の理解という項目について触れたいと思います。  実は、仙台は大学が何をやっているか、大学と企業が何をやっているか、それが自分たちにどうかかわっているかという意識がなかなか高くない地域だと、これは昔からそうなんです。そこをぜひ変えていただく必要があるんじゃないかと思います。それは、仙台が東北の拠点であって、国の予算はここに来る、企業もここに東北の代表地点を設けておいて、本部から命令が来ると周りにそれを伝えるということで済んでいたわけで、何というか分業主義で、自分たちの分業をきちっとやっていればそれでいいという地域だったわけです。  ところが、この地域に産業をつくって、その製品を世界に持っていく、そしてその経済的なメリットがこの地域にどういう形で落ちてくるのか、そしてそれをどういうふうに評価していくのかということは、市民全体の人たちがよく知っていないとなかなか仕組みがうまくいかないわけです。この仕組みを知るためにどうしたらいいのかというのは物すごく難しい問題があるように思います。  実は、最後に二、三分余談をさせていただきたいんですが、きのう朝新聞を見たら秋田県横手市で蔵の市とかと、御存じでしょうか、増田というところがあって、そこが昔豪商がいっぱい蔵を建てて、それを見せるイベントをやっている。それで朝見て、「よし、行こう」とかと見に行ったんですが、行ったら確かに四、五十のすごい立派な古い蔵があって、それを今でも維持しているんです。行って聞いてみますと、それができているのはほとんど明治の初年から10年くらいの間。その蔵というのは、立派な土蔵ですから、その当時につくった中の調度とか、あるいは漆や栗の渋など、いろいろ塗ってあるんですが、1回も改修しないで今ももっているんです。それが文化だと言って自慢するわけですが、結論を言うと、要するに、江戸時代から明治になって食料の自由流通が始まったときに、あそこには一番時代を先取りした産業が起こったんです。米とか絹とか、いろいろなものをきちっと保管して、それを全国に送り出すという商業、一種のバブル経済が起こったんだろうと。そのときにできた蔵なんです。それで、立派なものができたんで、あそこは寒いんですけれども、調度品は傷まないということで非常にいい建物になっている。今でももう150年使われているわけですから。年間幾らの利用賃になっているかというようなことで、150で割ると大分当時は高くても今はいいものになっているのかもしれませんけれども、今では増田が昔のそういうものをどう維持していくのかということになると、これは全く別問題で、今の新産業を起こして自動車をつくったりディスプレーつくったって、その蔵は何の役にも立たないわけで、要するに遺産になるわけです。  私が一緒に行った人に言ったのは、これは明治の初めに起こったバブル時代の非常に隆盛した産業の跡であって、それがあるからこの地域が将来いいとか、そういうこととは違うんで、ただそれを文化としてどういうふうにして保存して人々の理解を集めていくかということに非常に役に立つだろうと申し上げたんですが、要するに、やはり地域がきちっとそこで起こったこと、それからそれの使い勝手、それから子々孫々ずっと100年の間にここの地域に果たしていく功罪、そういうものをよく理解しているというシステムが次の新しいものを持ってくるときにとって非常に重要であると。そうでないと、何か新しい話が起こると、自分にはお金が幾ら来るんだ、何かその人はこれからおれに何をしてくれるんだという目で賛成したり反対したりする。そういうことで物が動くのではなかなか産業を興せない。そういう意味で、いろいろいい面悪い面あるんでしょうけれども、地域の人たちが実態をよく理解する、これが物すごく大事なことだと思います。そして、私の利益というふうな単純にそれだけじゃなくて、子供たちの利益、あるいはこの広い地域の利益、そういうものをきちっと理解して、今の動きとの関連でもってその動きを理解できるという地域理解がないとなかなかうまくいかないんじゃないかなというふうに思います。  大変まとまりのない話で申しわけありませんが、当面私はここの地域に世界最強の半導体産業を根づかせるために何か役に立てることがあればということで今NICHeでアドバイザーとしてやっておりますが、到底学だけではできないことがいっぱいあります。特に、今の東京エレクトロンが今後展開するためには、やはりここで将来働く人たちの子供さんの教育という問題はやはり一番重要でないかなと。恐らく工場を設置するというものに何十億円の奨励金をよこせとか、支度金をくれというのはぐっとレベルが低い話でして、それも確かに条件としてはあるんですが、やはり製品がきちっと世界に出ていくような環境があるのか、あるいはそういうものをつくるときに機敏に動くシステムがあるか、それから自分たちの子供たちがここで安心してこの土地の人になって、そして産業をつくっていく、その世界の最先端の産業立地を守り抜くことができるかどうか、そういう基本的なことを目指すという気持ちがないとなかなか産業を呼び込むということはできないんじゃないかなということです。  大変雑駁な話で済みません。時間になりましたので、以上とさせていただきます。ありがとうございました。 3: ◯委員長  どうもありがとうございました。  本当に限られた時間、限った時間を先生の御説明ということでお願いして、これは本当に無理なお願いをしたなと改めて感じているところでございます。どうもありがとうございました。  この後、委員の皆さんからの御質問、御意見、そして中塚先生からもまたその御質問に対する御回答及びまた御意見をいただければというふうに思うわけでございます。  中塚先生は大学が独立行政法人化する際の中心の一人として大変御苦労されました。かつて教授はタコつぼに閉じこもっているというふうな言われ方をした時代がありましたけれども、それでは済まないんだという話を、まずそこから始まったというふうに聞いておりますし、また、いろいろな人材が仙台に移ってきていただくための広い意味でのインフラの整備の必要性というのは、我々も感じてはいることなんですけれども、実際に企業立地という観点からちょっと触れていただきました。私なんかはその点についてもう少し具体的にもっと、教育もそうでしたけれども、象徴的でしたけれども、もっとあるんじゃないかなというふうに思いながらお聞きしたわけでございますけれども、どうぞひとつきょうはどのような視点からでもということでお話をいただいておりますので、委員の皆さん方から御質問、御意見をいただきたいと思います。 4: ◯佐藤正昭委員  どうもありがとうございました。  先生は今委員長の話も聞きますと、大学は勉強や研究だけじゃだめだと、これからは産業を興したり、経済の面でもやっていかなければだめだと。当然今国も官から民へ、国から地方へということで、そして我々仙台市だってやはり管理型から経営をするということに変わらなければいけない、皆さんそういう狭間に立たされているということでは、みんな共有した問題、一緒だと思っているんです。そういった中で、大学が特許なり技術なりということ、これは人々の生活が豊かになったり、楽しくなったり、そのために私はその技術があるんだと思っているんです。  そういった中で、先生が今考えている特許なり技術なりが市民のために、生活が豊かになったり楽しくなったり、先生の目標としている目標値に比べて今の到達度合いといいますか、それはどの辺にあって、どんなふうになっていくのが理想というか、そうお考えなのか、お願いをまずします。 5: ◯中塚勝人参考人  特許と技術は二つに分けて考えなければいけないんですが、特許はペイしません。特許がその地域を豊かにするということは、その収益でもって特許代でもって豊かにするということはありません。しかし、その技術を行使する権利としては保障されますので、技術を特化できます。その人の持っているものを。  問題は、じゃあ特化して保障されている技術を使ってどうやってビジネスを成功させるか。そこが大事なところであって、私が今Aという特許を持っていますと。すると、九州でだれかがこのAというものを使いたいと。それで、使っていいですよと言ってその特許料をお金をいただいたりと、そういうやり方ではペイしないんです。  ただし、もともと特許というのは発明者の権利、それを使う権利というものを保障しましょうということであって、それは対価を取ってもいいわけですけれども、対価というのは余りにも少ないし、それからその権利を確保するためにかかるお金とか、一つつくって一つ必ず売れるわけじゃない、100つくって二つ売れるような感じですから、ペイしないと思います。  ですから、特許はしかし権利として確保して、きちっとこの地域から使いたいという人が出てやりましょうというときには、きっとほかのところではまねできない、守り切っていく、そのために使えばいいわけです。  その技術を使って、じゃあ製品が実際にできましたと。製品をちゃんとアメリカに運びます、ロシアに運びます。そこから利益が上がって、ここに売り上げとして出てきて、ここの税収が豊かになって、あるいは雇用が進んでというメリットをねらうことになると思います。大学でつくった特許は、そういう意味でまず採算とれない。  それから、大学で生み出した技術も、使う産業ができて初めてメリットが出てくる。ですから、私はこういう発明しましたと論文を書いて、うんと世界じゅうがすばらしい、この人は立派な研究者というだけでは、これではだめだと思うんです。やはり、それが本当にみんなに、ここじゃなくてもいいんですが、外国でもいいですが、使われてみんなを幸せにしているという実の出ている研究が、全部はそうなりませんけれども、1割とか2割そういうものを生み出している大学でないと大学の価値はないというふうに私は思います。 6: ◯佐藤正昭委員  ありがとうございます。  私もやはり技術が使われて、産業なり経済活動なりになって初めてそういう富が生み出されるものだと思いますし、先ほど私感激した最後の言葉で、地域の理解の部分です、私はこの地域に近視眼的じゃなくバトンタッチをするシステムを、地域の中でしっかりと子供たちにバトンタッチをしていくためのシステムをしっかりつくっていけばいいんだと私も思うんです。  そういった中で、先ほど先生の方からアメリカンスクールの学校問題も学力に応じた転入のこともありましたように、それは子供たちそうですけれども、もう一つ大人たち、ここで働く人たちも、昔は衣食住と言われて、それがあればいいやという時代だったでしょうけれども、今はそうじゃないと思って、やはりそれにカルチャーなり文化なり歴史なり、いろいろなものが余暇の部分で、それは1週間一生懸命仕事をして、その後に余暇でどこか行けばいいのかと、それは違うと思っているんです。やはり、その研究の合間にもいろいろな、下世話な話だけれども、飲むところがあったり、いろいろな文化的な面があったりということが、そういうないまぜでいろいろなことを含んでいかなければだめなんだろうなと。だからこそ、この仙台というのが総合的にもっといいまちになっていかないと吸引力がないんだろうなと思うんですけれども、先生、もう少しこの仙台というまちがそういう吸引力になるために、どういうことがあるともっと吸引力ができるかなというお考えですか。 7: ◯中塚勝人参考人  非常に難しいというか、やはりこういうふうに、言い方変えますと、東北大の工学部は毎年約900人の学生が全国から集まります。そのうちの半分以上は東北地方、つまり600人ぐらい東北地方の学生が一生懸命育って大学院を出る。そのうち60人しかこの地域に残らないんです。540人は東京とか関西に行ってしまうんです。子供たちを産んで育てて、才能つけて、9割方よそに持っていかれて、地域振興になんかなるわけがないです。別に全部を囲えと言うわけじゃないですけれども、半分出ていってもいいですけれども、半分以上が今度よそからここは魅力があるといって来なければいけない。大学といたしては。そういうやはり能力がある人を確保するバランスというものがとれないと、全部流出し、もうよそに貢献して、ここは疲弊していく地域になると思います。  そういうふうにするために何が必要か。やはり、昔は農業というのは確かに非常に重要だったですが、今のウエートからいうともっと産業をきちっとさせないといけないと思います。それから、観光というものも私非常に重要だと思います。しかし、観光もさっきの特許みたいなもので、余り産業的に利益を上げるというのは難しいだろうと思います。しかし、観光が非常にいいのは、こっちで何も選別しないで向こうから訪ねてくるんです。世界じゅうから。そして、ここの地域を理解していくんです。そういう、つまり世界にこの地域を理解してもらう、歴史やいろいろなものについて理解してもらう、あるいは景色を見て理解してもらう、そういう世界の人たちに理解を得るという意味で観光は物すごくいいと思います。  非常に得しているのはパリだと思います。パリはそんなに金使わない。みんな来て、あそこにいろいろな人たちいるんですけれども、余りパリの人の悪口言わないですよ、世界じゅう。結構フランスという国は戦争もあちこち行ってやったり仕掛けたり、いろいろしているんですけれども、恨んでいる人もいるんでしょうけれども、あれだけ文化を発信している、逆に言えば発信しているというより、よそから来て聞いていくんですけれども、そういう地域というのは地域の苦しみもわかるから世界が理解しやすいんです。  だから、そういう意味で観光というのは、私は経済性を抜いて、赤字では困るんですけれども、十分ペイしていく。地域の宣伝費としてペイしていると思うんです。  やはり、基本的には産業。産業もさっき言いましたように、これからの夢ですけれども、ここに将来の半導体産業の芽はここにある。芽というか、芽をつくるものがここにある。それで、それを動かせない。そういうものをつくれば勝ちだと思うんです。  実は、ここのお手伝いをすることになって、東京エレクトロンの東さんという会長さんに会いにひとりで行きました。仙台に来るというのはどういうつもりですかと。仙台で物をつくるとしたら、もう世界でどこにも出ていかない、そういうすぐれたものをつくるという手しか。ここで人件費が安いから来てやったと、そうしたらあっちの方が安くなったからあっちに行くよ、そんなものに一生懸命やるつもりは、私はお手伝いするつもりはないと。やはりここに根づくものをつくらないといけないんで、どういうつもりなんですかと言ったら、東さんが言ったのは、このままいったら全部根こそぎゼロまで中国にとられると。幸い東北大学はエレクトロニクスが非常に強い。ここから継続的にエンジニア、研究所をつくって対抗していけば、世界の拠点を日本にとめられるかもしれない。それは東京でも九州でもない、やはり仙台が一番いいと思ったと言うんです。だから、やる気はあるんです。だけれども、製品をつくっても世界に運べないんではやらないですよね。これからの頑張りなんだと思います。トヨタがどういうスタンスなのかよくわかりませんが、多分トヨタは北米とかロシアとか中国とか、そういうマーケットにとってここの産業立地がいいというふうに見ているんでしょうけれども、やはりいずれは自動車もどんどん形を変えていきますから、今のようにガソリン食うようなものではだめでしょうから、どんどん改革していくわけですよね。そういう改革を起こすような産業になれば、ここは非常に強いと思います。  スイスはネスカフェでもっているという話をよく聞きますけれども、確かにネスカフェに関してはあそこはしたたかなんです。原料から製品から、それからマーケットから。それで、確かにコーヒー、ネスカフェが世界を制覇していますよね。そういうものが一つあれば日本は大分助かる。自動車と半導体をここ仙台が持ったら、それはもう大変なことです。 8: ◯安孫子雅浩委員 先生のお話と、それから各種の資料なども改めて拝見をして私思いますのは、やはり今グローバルスタンダードというか、世界の流通の中で、例えば世界最強というものをねらっていくときに、やはり御案内にあるように、企業活動環境のインフラの状態がどうであるかということはやはり極めて大きいと思うんです。  ですから、今回東京エレクトロンが一応目標として掲げて、世界最強を目指したいという思いで、とにもかくにも宮城県内に入ってきてくれたということは大変ありがたいんですが、ただそこから先はやはり仙台港なり仙台空港でもって世界に流通の幅を広げるわけでもないですし、それは国内でいっても、国内最強と言われる京浜地域にしろ、飛行場にしろ、これも今アジアのハブ合戦の中ではもうはるかに劣化をしている状況ですから、そうすると、やはり私たち政治の役目や行政の役目として、どれほど世界最強を掲げる目標を持っている企業体に合わせた環境のインフラ整備というものを確保できていけるかということがすごく大きいのかなと改めて思わさせていただきましたが、そのときに私いつも不思議に思うのは、例えばかつて国もそのパス構想等で大体主要なところに港と飛行場をほどよく整備をするということがありました。東北の場合だと仙台とか八戸とか、あと日本海だと秋田あたりもかなりお金を入れたと思うんですが、いずれも今は非常に残念な状況になっている。私たちをパッシングして、実は日本海のもっと南の方が元気になったり、あるいはアメリカから来るものは日本を経由しないで中国に行ってしまうといった時代環境になってしまっているんですが、目標を高く掲げれば掲げるほど、やはり今のある種分散して投資をしていったり、ばらばらにほどよく整備をしていくという理屈は、やはり成り立たないと思うんです。  そうすると、例えば東北6県なら東北6県が1000万人近くいて、6県としてそれぞれ港とか国際空港とか持っていますけれども、これをこの枠組みでやっている以上は、もういずれやはり三流、四流のままだと思うんです。  1点集中をするというか、集約をして、1点集中をして収れんをしていくということをやはり相互に、東北なら東北一つの意思としてやはり求めてつくっていくということの合意形成というのはすごく必要じゃないかなと私は率直に思っているんですけれども、その辺先生はいかがお感じになっていらっしゃいますか。 9: ◯中塚勝人参考人  物流システムとしてはおっしゃるとおりです。だけれども、今私が仙台の例えば港を世界の輸出中心拠点には絶対できないと思います。どうして、あの砂の中に建っているもので、あれを深くするのは大変です。  最低限どれだけ使えるかですよね。さっきの半導体の製造装置について言えば、ここにありますように大体3000億円ぐらいの売り上げだと。1台3億円として、年間1,000台を出せるか。大きさはそんなに大きくない。恐らく今20フィート、6メートルぐらいのコンテナで十分です。非常にコストが高い製品なんです。それで、1,000台の装置を仙台の港から出すことは私できると思います。見てきました。実際に一つに今度は毎日1隻ずつ出せば大丈夫です。300日、五、六台積んだものを出せばいいんです。問題は専用船なのか定期航路を使うのか。定期航路を使う方がいいわけです。専用船だったらコスト高です。定期航路がどれだけ整っているかというと、ここにある定期航路は全部釜山に行くんです。釜山からヨーロッパとかアメリカに行っているんです。もう少し集約して、それを何十台かアメリカに直接持っていけばもっと安いんで、そうなると専用船を借り切ったり、いろいろしなければいけない。その辺をどうするかというのはありますけれども、今の半導体の製造装置なら仙台港からやれると思います。  しかし、これを自動車にして、20万トンの船を寄せたいといったら、仙台港は船は入れません。釜石かどこか、昔の軍艦の入ったところにそれを入れて、陸路をきちっと整備してそこに持っていくということをしないと。  それから、今の1点集中、拠点主義というのは、非常に投資が大きくて非常にリスキーだと思うんです。それでさっき申し上げたのは、九州が物すごく立派な港をつくってしまったけれども、向かい岸の釜山の方がもう先導権をとってしまっていて、世界の流れをこっちに引っ張ることができないという、もう今非常に困っているわけですけれども、そういうことにならないようにするのが大事じゃないかなと思うんです。 10: ◯安孫子雅浩委員  例えば東北の中でも山形の方なんかとお話をすると、やはり日本海抜けた方がいいわけです。日本海とアジアの交易を高めるためには、例えば仙台から真っすぐ酒田に抜けていって、酒田港をうまく活用しようという言い方があって、ただその辺もやはり行政体としてもしっかりやはり勉強していかなければいけないのかなと思っております。 11: ◯中塚勝人参考人  この問題については、私仙台港、それから相馬港、それから八戸港、酒田港、新潟港、みんな調べました。酒田は使えません。何もない。輸出システムがない。新潟ですね、もう使えるのは。そうすると、新潟とここを道路でどうやってつなぐ、どこの道路を使うんだと見ると、今つながっていないですよね。道路をじゃああそこまで開きましょうといって国土交通省に言っても、なかなかそれは難しい。  だから、裏日本、特に中国とかロシアに物を運ぶときにどういうふうにするかというのは非常に頭痛いです。それは、酒田に直接行って、酒田から積み出せれば一番いいんです。太平洋越えてアメリカ行くときにはこっちからやるとやれば一番いいんですが、そうそう条件を調べると、今あるインフラからスタートしてどれだけのことができるかというと、何もかもできるわけではないです。 12: ◯安孫子雅浩委員  先生、あともう1点。人的資源の方のお話なんですけれども、やはりこれも子弟教育を初め、すごく大切な部分かなと思っていて、例えばあえて言うと居住環境、教育はちょっとやはりいろいろと課題がすごくたくさんあると思うんです。そういうインターナショナルスクールなんかを例えば宮城とか仙台の単体でつくっていくということも、やはり東北というその土地の歴史からいって、そういった経緯を今まで持っていないので、関西とか東京の過去の経緯、歴史。  だからその辺ちょっと難しいんでしょうが、例えば居住環境といったときに、私はそこはやはり東北なり仙台というのはアドバンテージがあると思うんです。やはり、政令市であって、広瀬川の大きな河川がその中を流れていったり、やはり蔵王連峰があって、泉ケ岳から見たとき太平洋があって蔵王連峰があって、ほどよいところに海もあるし山もある。  やはり研究者なりなんなり、まさに日本オリジナルとか仙台オリジナルをつくっていく先鋭化された研究者は、やはり居住環境がどれほどリラックスをして暮らせるかということがすごく大切で、その辺は全国の政令市の中でもやはり仙台は評価されている部分もあるし、まして研究者の居住環境のアドバンテージとして持っているものがあるので、そこはやはりもっとPRをするなり、足りない部分はもう少し整えるという工夫をすれば、意外にそこは仙台のアドバンテージとして持ってこられるのかなと思ったりもする。東北大学が今すごく先生方、優秀な方がいらっしゃって、これだけ世界級の開発をされているということも、裏にはそういう居住の心地よさというものがあるのかなと私も感じているところなんですが、その辺はいかがでしょうか。 13: ◯中塚勝人参考人  今さっき500人を連れてくると。500人のでき上がった技術者が子供さんを連れてくるとすると、恐らく住むのはみんな仙台だと思います。仙台に住むと思います。どうしてなら、子供さんを小学校、中学校、高校入れて、仙台市の小中高に入れる方がはるかに実質はメリットがあるというか、有利ですから。県はやはり初等教育、初中等教育環境まで整えるのは非常に難しいでしょうけれども、よくないですよね。だから、その差だけを見てだと思います。  それで、子供さんがいなければ別に、税金はどっち高いんですか、仙台市と。安い方がいい。そういうことだと思います。やはりお子さんがあれば仙台市に住むと思います。じゃあ仙台市内で高校連れて行って、一高、二高満杯だから仙台高校に行けとかってやっていたら、これはちょっと来ないかもしれませんね。転勤するの嫌だと。  ですから、一つは今のありようをきちっと宣伝すること。宣伝するというかアピールすること、PRすること。それからもう一つは、そういう変化が起こったときにどういう対応をするかという手段を、メニューを用意しておいて、きちっと提示する。それがないと。何もばかを利口な学校に入れろというんではないですよ。学力に応じてきちっと差別ない教育ができますと。この地域の教育はこのレベルです、この中にいつでも入れますよ、そういうレベルに応じて受け入れられますよというきちっとした整備をしておかないといけないと思います。よそから来るときにわがまま言われても困りますし。と思います。 14: ◯跡部薫委員  きょうは本当に大変ありがとうございます。  先生のお話の中でのちょっと重複の部分もあるかと思うんですけれども、先ほどのお話の中で、NICHeの中島先生のお話ありました。半導体の製造装置は膨大な部品で、部材産業を集積しないと、ある種のクラスター的な考え方ですよね。それで、日本は戦後、4大工業ベルト地帯を中心に大分支えてきた工業というものが大分飽和状態になっている。  東北というのは、まだそういう意味では開発されていない分だけこれからの可能性もあると思うんですが、今後、そのクラスターとしての要素を備えていくときに、例えば部材メーカーもそうですし、それからさまざまな地域資源、輸送システム、エネルギーというものもあります。  ただし、やはり一番大切になってくるのは、これは私の意見なんですが、イノベーションを生み出すような、それこそ東北大の存在、またこの研究施設をいかにここに集積していくか、それが補完して連携してどれだけ効果を出してくるかということが必要になってくると思うんです。  ということで、東北大は今まで非常に、それこそ今のお話にもありましたけれども、全世界を見た戦略や、あるいは日本をリードする研究を含めて、それこそ研究機関でもあり、教育機関でもあったと思うんですが、これからは東北、もっと足元の部分を集中的に、地域貢献を含めて21世紀は東北をもっともっとやっていくんだというような旗を広げていって、それに同時に我々は、政治も経済もそうなんですけれども、そこにもっともっといろいろな意味での投資を膨らませていくし、またその魅力を再発見していく。先ほど地域の横手の増田地区の話ありましたけれども、やはり一つ一つの魅力とか資源というものを我々県民、市民がもっと気づいていく必要がある。そういう意味では、東北大というのはすばらしい僕は宝でもあると思うんですが、その辺東北の可能性を含めて、これありふれた月並みな言い方ですけれども、今後の展望というのはいかがお考えですか。 15: ◯中塚勝人参考人  これは大分以前に藤井さんが市長のときにも申し上げたことですが、藤井さんはこういうふうに言いました。東北大と心中するつもりですからと言ったんです。私が申し上げたのは、東北大は仙台市なしになんかやっていけない。我々架空のところに住んでいるんじゃないんだ、だから東北大の成果というのは仙台市に活用してもらって、その地域が世界でも有数なすぐれた地域として認められる、それが東北大の存在価値であって、地域はだめだけれども東北大だけ立派だなんて、そんなことあり得ないという話をしたんですが、まさにそういう時代になっていると思うんです。  今海外の有力な大学で、横滑りして入ってきて有力な地位を保っている、地域には根がないと、そんな大学ほとんどないです。そこは東北大、もっと性根を入れかえなければいけないと思うんですが、例えて一つの例で言うと、カリフォルニア大学のバークレーに行ったんです。あそこは今トップ、20年ぐらい前は二流大学だったんですけれども、ぐっと上がってきて、それなりの物語があるんですが、その先生方と話したとき、あなたのところで入学生はどのくらいのレベルで入れているという話を聞いたわけです。うちはトップ5%だと大威張りなんです。100人いたら5番くらいの者が入ってきている。だから、うちは非常に恵まれているし、優秀なやつを出せるんだというわけです。  東北大学は今トップ2%なんです。それでも、学校の生徒できが悪いと先生方ぶつくさ言うから、そんなこといってはだめです、アメリカではあれだけいろいろな人種がいて、いろいろな人たちがいて、教育格差も非常にあるんだけれども、その中の100人に5人入れて十分だと、これで世界に対抗していけると彼は自信を持っている。日本は、あなた方100人のうちトップ2人を連れてきておいて、教育して、これできが悪いと、結果としてその学生がみんな90%以上がよそに行っている。こんなだらしのない大学がありますかという話をしたんです。これからはそういうふうにしないとだめだと思うんです。  できればさっきの900人、1学年900人学生をとってきたと、地域の人は半分ここに残って、半分はよそに行く。それはいいんです。何もここの土地に閉じこもっている必要ないわけで、半分出ていく。そのかわり、半分以上がよそから来た人がまたここにいると、そういう人材の流通性というのがキープされていることが時勢におくれない、社会と一緒に追随していく非常に重要なところだと思うんです。だから、東北大はそういう時代に入っているし、だんだんもう気がついてきていますので、ぜひよろしくお願いしたいと思います。  特に、さっきの東京エレクトロンのように、具体的にもうトップがそういう希望を持って、次の社長というのはまだ50になったばかり、だからまだ20年ぐらい彼は頑張るんです。非常に優秀な人です。だから、20年の間に根づかせれば、もうしっかりしたものができます。大見先生は年をとり過ぎて、あれは10年もすればもういなくなって、余り使えなくなってくる、とか言っているのは大見先生で、人づくりをしないとこれつぶれますよと言っているんですけれども、そういうえらい人の思いつきじゃなくて、きちっと長期的な戦略をとった対策を組んでいく必要があると思います。 16: ◯高見のり子委員  大学の教授の派遣の成果というか、その評価は中塚先生の評価をお聞かせいただければと思うんですけれども。
    17: ◯中塚勝人参考人  小中学校の先生方の集団、仕事してみると、やはり仙台市の方がシステムとしてまとまっているし、県は非常に多様性が大きくて、いろいろなもの非常に、山間部も持っていますし。仙台市も持っているんだけれども。そういう意味で、初中等教育に関しては仙台の方が私は環境いいと思います。高校に関しては余り特化し過ぎて、大体100何万人もいるのにいい進学校2校しかないなんて、こんな教育の偏ったところないですよね。これだったら、100万人いたら、有力な進学校が10校はなければいけないです。そして、その10校が競争し合って、先生方は切磋琢磨してということでないと、一高と二高であふれかえっているというのはだめだと思います。初中等は僕はあると思います、いいと思います。高等学校をもっときちっとしないといけない。よろしいですか。 18: ◯高見のり子委員  教育の部分での話。はい。 19: ◯委員長  高見委員の質問はそれでよろしかった。大学の先生が仙台市に籍を置いてという質問について。  当初大学の先生が仙台市に籍を置いて。 20: ◯中塚勝人参考人  お子さんを抱えてくれば仙台市に置くと思います。必ずお子さんは仙台市内の中学校、小学校に子供さんやりたいと思います。 21: ◯高見のり子委員  ちょっと違うかもしれないです。済みません。  先ほど先生のお話の中で、仙台市の中に大学の教授がいらして、籍を置いていろいろ経済においてイニシアをとるというか、そういうものがあるというお話をちょっと伺ったので、それについての評価という、教育の部分でなんですか。 22: ◯中塚勝人参考人  大学の先生が仙台市が気に入っているかどうかという話ですか。 23: ◯委員長  先生、そうじゃなくて、当初大学の先生は例えば仙台市でいえば審議委員になったり学識経験者という形で来ていましたが、そうじゃなくて市の職員と同じ立場で、(「ああ、その話」の声あり)その話です。 24: ◯中塚勝人参考人  物すごく張り切っています。気になるから時折皆さんとはお会いしてやっていますが、非常に張り切っているし、やりがいがあると言っています。 25: ◯委員長  高見委員のお話を受けてのお話になりますけれども、例えば政策立案の初期の段階から大学の先生の立場で市の職員の作業の中に入ってくるというイメージで私はお聞きしたんですけれども。 26: ◯中塚勝人参考人  ちょっと言葉足らずだったです。  幾つかのタイプがあります。文系の先生方はそういうスタンスです。それから、理系の先生方は、もう政策立案というよりも、具体的に市を通じて企業の人とすぐコンタクトして指導できると。もう大学から行くよりははるかに使える形でおつき合いできるという意味で見ているように思います。 27: ◯委員長  今現在もその制度はあるんですか。 28: ◯中塚勝人参考人  あります。 29: ◯経済局次長  ちょっと先生、申し上げさせていただきます。  先ほど先生の方からお話のありました仙台市に籍を置いていろいろ活動していただくという制度なんでございますけれども、今も現在やっておりまして、フェロー制度、御用聞き方のフェロー制度と申しまして、実際に大学の先生方がうちの方に籍を置いて、週何回か地域の中小企業の方にお邪魔して、いろいろなどんなニーズがあるのかということを持ってきて、そのやりとりの中でいろいろな製品が生まれたり、新しいサービスが生まれたり、私どもこの制度につきまして、非常に市と大学の連携の制度の中で大変成功している事例だということで考えております。 30: ◯委員長  高見委員、今の説明受けていかがですか。 31: ◯高見のり子委員  先生も評価していらっしゃるということで、ありがとうございました。 32: ◯跡部薫委員  あとちょっと直接の質問ではないんですが、先ほどの子弟教育、今の人的資源の件にちょっと関連して御紹介したいものがあるんですが、アメリカンスクール、インターナショナルスクールです。仙台には今私立の学校法人の形の枠の中で一つ東北インターナショナルスクールがありまして、それはアメリカからもう代々3人ないし4人ぐらいの校長先生をお迎えして、なんとか英語教育、そこは基本的には日常の会話は英語だけということで、それでカリキュラムを組んで、先生方も一生懸命教育をされている。  ただ、非常に運営についての経営が厳しいという話もあって、学校法人と今一緒にやっている状況で、この東京エレクトロンのときもありましたけれども、子弟教育の受け皿としてぜひとも枠組みをふやしたい、また内容を充実させたいということもあるようなんですが、どうしても他都市と比べてまだまだその認知度が低いとか、内容が充実していない。  たまたま神戸とか、あるいは福岡で成功事例がインターナショナルスクールございますけれども、やはりそこに民間もひとつ経営にも参画をして、その内容を地域ごとに充実させるという取り組みが大分多いようなんです。あと横浜にもありますが。  そんなことで、割と私も一つの今後の可能性として外国人の子弟教育ということをもっと仙台でも盛り上げていくような方策を我々も取り組んでいかなければならないなと思うんですが。 33: ◯中塚勝人参考人  今のインターナショナルスクール、今あるところは、子供さん何人くらい預かっているんですか。 34: ◯跡部薫委員  そうですね、全体の中の4割ぐらいが外国人で、半分ぐらいは日本人で。実数ではちょっと正確なところはよくわからないんですけれども。 35: ◯経済局次長  全体で100名ぐらい。ちょっと割合がわからない。 36: ◯中塚勝人参考人  インターナショナルスクールについていえば、やはり良質な教育を提供することが大事だと思うんです。生徒さんは少ないにもかかわらず。すると、経営は非常にきつくなるんですが、今は例えば東北大学に外国から来ている先生方、そういった人たちあるいはその奥さんがお手伝いするとかいうようなシステムを組み入れていけば、かなり質を上げるために役に立つんじゃないかと思うんです。そういうことを地域と大学が一緒にやればいいと思います。  それから、子供が英語でしゃべれるようにというので、日本人が来るということあるんですか。つまり、通常の小中学校に行かないで、アメリカンスクールに日本人が入るということありますか。あります。  いずれにせよ、少し具体的な協力関係とか、いろいろ工夫が必要です。 37: ◯村上一彦委員  先生のお話の中で私も同感するのは、東北大工学部というのはまさに宝の山だと思うんです。この子供たちが卒業してすぐ出ていってしまうと、頭脳流出が仙台最大の損失だなと私も思っていたところなんですが、でもその出ていく理由をアンケートとりますと、最大の理由が就職先がないと。仙台にはいたいんだ、だけれども就職先がないというのがその最大の今までの理由だったんですけれども、東京エレクトロンが工場ができる、研究所ができるということによって少しは歯どめがかかるのかなと。どうなんでしょうか、先生。 38: ◯中塚勝人参考人  1,000人規模のあれだと、恐らく7割ぐらいもう学卒だと思います。世界に本当に半導体の製品を提供するとなると。そうすると700人の、何年働くか、40年働くとして40で割ると、毎年二、三十人どんどん送り込まなければいけないんですよね。じゃあ東北大からそのうちの半分、10人と言っても、結構大変なんです。これはもう大学生にきちっとその会社の情報を送って、ここで世界一の仕事できるんだぞということをよく教え込まないと、まさかおまえあっち行くのやめてこっちへ来いとはできませんので、いろいろな教育をしなければいけないと思います。  その規模でいうと、東北電力に次いで大きくなるんじゃないでしょうか、いきなり。25人とか30人というような学卒を毎年採るような企業として。トーキンが今どのくらい採っているんでしょうね、毎年学卒を。 39: ◯委員長  ちょっとデータを持ち合わせていません。 40: ◯中塚勝人参考人  意外と少ないんですよね。東北電力除くとぐっと下がってしまって、トーキンあたりになるんです。そういう規模の会社が学生の受け皿として数社あるいは10社ぐらいできると大分違うんですよね。ここ四、五十年で1社もできていませんから。今回一つつくれるかどうかです。 41: ◯安孫子雅浩委員  済みません、もう1点だけ。  先生、済みません、もう1点だけあと。人的な資源の部分でちょっともう1点教えていただきたいんですけれども、やはり東北大学今アジアを初めとする留学生がたくさんいらっしゃっていて、かなり優秀な知能が東北大学で学んで、そしてまた彼らはその母国に帰って、そちらでまたそういった知的資源を活用するなり、あるいはそっちの方の地場の企業体の方で研究者としての活動がどんどん広がっているのかなと思うんです。  そうすると、やはり東北大学としてのそういった人的なコネクションというか、在学研究者としてのコネクションを少し戦略的にストックして、それが例えばこういった東京エレクトロンとか、そういった企業体が宮城県なり東北なりに来たときに、そこへ必要なやはり当然研究者なりなんなりというリストが必要だと思うんです。そのときにうまくマッチングできるようなシステムなりというものは、あればすばらしいのかなと外から思うんですけれども、その点はいかがなんでしょうか。かなり強力なものを持っていらっしゃると思うんです。ストックというとあれですけれども、ネットワークとすれば。資源として人的なネットワーク資源としては。お持ちになってらっしゃると思うんです。 42: ◯中塚勝人参考人  留学生は確かに優秀な者が結構います。それが、例えば仙台に職場があれば、彼らがやりたい、こういうことやってみたいというような仕事があれば、まず居つくと思います。希望者は非常に多いと思います。  ただ、それが、じゃあおれ仙台人になるわと、日本人になろうと思ってくるのか、あるいは自分がキャリアを積んで、40歳まではここで世界一の仕事に手をつけて、今度は本国行ってやりたいと思う、その辺はよくわからないですよね。  だけれども、地域に受け皿があれば留学生は非常に残りやすい環境になると思います。私の持った中国の学生では、2人中2人とも何とかして日本で働きたい。 43: ◯安孫子雅浩委員  帰らないでそのまま。 44: ◯中塚勝人参考人  ドクター出た後、何とかして日本の仕事を探したいと。 45: ◯安孫子雅浩委員  その点は、例えば産学官の連携ということを今仙台市が一生懸命やっていて、そのやはり一番のコアは、学の部分はやはり東北大学ということで、だからそこは前藤井市長のそういった発言もあるのかなと思っておりますが、そのときに連携の中において、じゃあ例えば行政の役割としてストックなりリストは東北大さんがお持ちになっていらっしゃると。そこをうまく企業なりなんなりが来るときに、当然人間が必要なわけですから、それなりの優秀な人的な資源が必要なわけだから、それをうまく引っ張ってきて、そしてその企業なりにつなげていくという役を官の役割として担うことも産学官の連携の中に当然必要なのかなと思っていて、その辺のシステムをやはりつくっていくということが東北大さんとともに求められているのではないかなとちょっと今のお話の中で感じたものですから。 46: ◯中塚勝人参考人  もうそれはまだないんで、新しいことをやるんで、非常に有意義だと思います。有力だと思います。どういうふうにつくっていくかですね。 47: ◯安孫子雅浩委員  でも、それは先生の中にもある種いろいろなおつき合いとか、やはり社会的な貢献度なんか今あって、なかなか一概に出す出さないとか、紹介できるできないというのは、別にそれは白紙の状態じゃなくて、やはりいろいろな条件なりあるんでしょうね、やはりそれは。なかなか理屈はわかるけれども、情報としてかなり秘密性の高いというか、秘匿性の高い情報であるという理解なのかどうかです。 48: ◯中塚勝人参考人  学生が希望するかどうかです。外国人も日本人も。まずどこにどういう求人があるかという情報と、それから本人が希望するかどうかで一番決まります。 49: ◯委員長  ちょっと余計なことですけれども、今安孫子委員のお話を伺っていて、多分同じ質問だと思うんですけれども、企業が仙台に移りたいと、この仮定自体がちょっと変かもしれませんけれども、仙台にどういう人材がいますかというときに、探しようがなかなかないわけです。安孫子委員の質問の一つは、東北大があると、東北大学には人材のデータベースがあって、仙台がその窓口になって東北大のデータベースにアクセスをして、「いや、仙台にはこういう人材が東北大というところにありますよ」と、あるいは「東北大経由で紹介していただけますよ」みたいなシステムがあればいいなと。でも、それというのは個人の情報にもかかわることだし、余り表に簡単には出せないということがあるんじゃないでしょうかと。 50: ◯中塚勝人参考人  そういう意味ではまだ全くデータベース持っていません。  ただ、全国にいるOBからはそういう機能を大学は持ってくれと。転職したいとか、いろいろなものがあって、OBに対するサービスで大学がやったらいいんじゃないかというんですが、そこまではちょっと話が大き過ぎて、今のところ私も「じゃあやりましょう」と言ったことはない。でも、やってほしいという声はあります。  ただ、それを今度は地域に限定して、この地域にどういう求人があってという話であれば、これは話は別ですが、トヨタ嫌になったから日産に行きたいんで世話しろというようなことはちょっと余り膨大でやり切れないです。 51: ◯村上一彦委員  最後にちょっとお聞きしたいんですが、特許のことについてお伺いしたいんですが、東北大工学部には結構埋もれている特許というんですか、事務の繁雑さと、あとお金がかかりますよね、100万円ぐらい。弁理士も仙台に七、八人しかいないということなんで、結構埋もれている特許があるとお聞きしているんですけれども、それはやはり行政がそういった事務手続のお手伝いやお金を貸すシステムとか、そういうものを行政がお手伝いする必要があると私は思うんですが、どうでしょう。どうなんですか。関係ありませんか。 52: ◯中塚勝人参考人  行政がそれをお手伝いして、それはこの地域のためになりますか。何を期待されますか。それにこたえられるかどうかです。先生方はもう自分の発明されて、そういうものだと思っているんです。皆思っているんです。本当に見ると大したことないものがいっぱいありますが。それで、だれかがお金を出してやってくれますといったら、もうみんなお願い、お願いでやるけれども、出してあげて、その結果それ何%の確率で使われるか、どういうふうに使っていかれる、そこら辺の読みを深めて読んでいくと、みだりやたらにお手伝いしても赤字になるだけでしょうという感じです。  私は知財委員長をやっているときは、先生方に申しわけないけれども、今ばっと調査した上ではあなたのものは買い手つかないと、もう全部論文発表してみんなの社会全体のものにしていく、それで、そうすればだれでも使えると。それで、あなたがやった研究だということも名前は出る。ただお金は入らないけれども。抱えているよりも、やはり使えるものがあれば発表するということも一つのやり方で、その中でこれはこう使っていきたい、こういうふうにやりたいというのであれば権利を確保してもいいんだけれども、何か珍しいものがあったから特許取ってくれというのは全部応じ切れないと冷たくやっているんですけれども。ですから、そこに何か宝の山みたいに思って金を出すのはちょっと単純過ぎるんじゃないかなという気がしますね。 53: ◯委員長  中塚先生、今村上委員の質問の根底は、仙台市行政として大学のこれからいろいろな発展をしていく、産業化をしていく中で、行政としてとにかくお役に立ちたいと、我々にやれることないかと、何を求めているかという視点での。 54: ◯中塚勝人参考人  さっきの地域コーディネーターの派遣とか、そういうものを通じてある程度情報を流せますし、むしろそれこそお願いしたいのは、こういう産業、さっきの一つの例のように、一つの産業をつくれる可能性があったら、教育も本当はいろいろなことで配慮してくださいと、研究しておいてくださいというのがお願いであって、発明が出たんで特許を取らせたいと、お金がかかるけれどもどうでしょうというようなものは私は余り、やっても市にも申しわけないと思います。見返りがないから。  ただ、ビジネスインキュベータというものが今度青葉山にできましたね。あそこは家賃を一部、半分を県と市が持つような、あれは非常にありがたい。あそこには現実に、さっきのLater Stageの企業が入って、本当の企業として立ち上がるかもしれない。あそこに入ったものは。そういうところにはやはり投資していただいた方がいいと思います。それはきっとベンチャーになって売り上げ出てくると、税金と収益で地域にバックしてきますから。それより下のところ、初めの芽のところはなかなか難しいんです。それ以上大学がお願いしても、かえって今度地域の方で何言っているんだということになってしまうんじゃないかと思います。 55: ◯委員長  よろしゅうございましょうか。具体的なやりとりになりまして、時計を見ましたら一時間半を超えました。  本当に中塚先生、どうもありがとうございました。 56: ◯中塚勝人参考人  こんな話で申しわけございません。 57: ◯委員長  それでは、ここで暫時休憩をいたしたいと思います。  中塚先生、ありがとうございました。                休憩 午後2時40分                再開 午後2時51分 58: ◯委員長  お待たせしました。再開をいたします。  本日の中塚名誉教授と過日の大山社長の御意見の聴取などを踏まえまして、地域経済の活性化に向けた環境づくりについて委員の皆さんの意見交換をしたいと考えておるところでございます。  新産業創出や産学官連携の推進並びに新たな投資の獲得に関しまして、具体的なお考えあるいは今後の進むべき方向性に関する御提言など、各委員より御意見、御感想をぜひいただきたいと思います。  なお、御当局への確認をしたい事項などもどうぞ御自由に御発言をいただいて結構だと思います。御当局にもよろしくどうぞお願いをいたします。 59: ◯安孫子雅浩委員  ちょっと最初に、今きょうの先生からのお話も含めてちょっと2点ばかり御当局に確認というか、教えていただきたいことがありますので、お尋ねしたいと思います。  一つは、産学官の連携ということをやはり一生懸命今やっていただいて、この委員会のテーマの中にもやはりその産学官の連携の今のありようがどうであろうかということもやはり当然問われてくるのかなと思います。ただいまのお話の中でも、産学官とあったときに、その官の役目というものがもう一度やはり今の段階でどうなのかなということをやはり問われているのかなと思います。  例えば、その中には先ほど私も質問させていただきましたが、当然ながらより大きなものなり世界的なものまでいくということを目標とするんであれば、そこのやはり居住環境とか、研究者であるのか従業員であるのかエグゼクティブであるのか、そういった方々の新しく住まわれる方々の居住環境の確保というものは当然やはり必要になってくるんだろうと思うんです。その辺は産学官の連携の官の役目として、当局では当然ながら今までの経緯の中でその辺の必要性なり課題ということも把握されているとは思いますので、その辺今経済局サイドですけれども、どんなふうに今お感じになって受けとめてらっしゃるのか、お尋ねしたいと思います。 60: ◯経済局次長  産学官の連携の中で企業誘致でありますとか研究所の誘致に関連しての居住環境という点につきまして、先ほど委員の方からお話ありましたけれども、私ども仙台というところ、やはり住みやすいまちのランキングなんかでも常に上位にランキングされているということもございますし、非常にすばらしい住環境を有する都市の一つであるということについては自負をしております。  ただ、今回お話のありましたとおり、研究所の誘致でありますとか企業立地のときにどうなんだといった部分につきましては、まだ私どもそういう点について、今の時点で仙台の住環境がどうなのかという部分は十分にまだ評価あるいは課題認識ということはできておりませんので、今後きょうのお話も参考に十分勉強してまいりたいと考えております。 61: ◯安孫子雅浩委員  これは経済局さんサイドですからそれ以上の限界があるんでしょうけれども、やはり都市整備という観点からいったときに、やはり仙台の中で今可能性のあるところとしての東西線の沿線の開発、東西線の駅からの沿線のまちづくりのあり方なり、あるいは仙台港背後地とか、あるいは長町のあすと長町、あの空間をどのようなまちの形にしていくのかということにもつながっていくのかなと思うものですから、その辺他局とも連携をしながら課題として取り組んでいただく必要があるかなと思っております。  さらに、その上で1点、人的資源ということについてなんです。やはりそれなりの企業体なりなんなりが来るということは、それなりの人材なり質の高い研究者なりがやはり仙台に来てここで住むということだから、人的資源の吸引力というものをやはり仙台として持つということの戦略性が必要ではないかと思うんですけれども、そういった点の交流人口の拡大という、観光もすごく有効な、海外から、外から来たときに、「仙台、何」といったときに、観光できてもらうということは百聞は一見にしかずであって、そういった意味でのすごく大きな意味があって、来た後に「ああ、仙台っていいまちだな」と、だったら単に1回だけじゃなくて2回、3回、あるいは何か仕事をしたいなということになるということも必要だと思うんですが、そういった交流人口の拡大はイコール観光行政であるという視点ばかりでもなくて、もっと広い意味での仙台市が人的資源の吸引力を確保する何らかの策が必要ではないかなと思うんですが、その辺はどのようにお感じになっていますか。 62: ◯経済局次長  交流人口の拡大がイコール求心力ということにつきましては、私どもも交流人口の拡大のために、やはり地域としての魅力とかまちづくりとかをきっちりやっていって、それでそれを我々がどんどんプロモーションをしていってこの地に来ていただくということでありますんで、当然観光行政に力を入れていく、あるいは内外のプロモーション活動に力を入れていくということで交流人口を拡大する、それがイコール人材的な面でも求心力を高めていくということにつながっていると理解しております。そういう意味でも、今後とも観光行政あるいはさまざまなプロモーション活動にしっかり取り組んでいきたいと思います。 63: ◯委員長  過去に、今回はスーパーコンピューターはだめだった、過去にももう一つありましたね。国連関係の環境研究所の誘致に負けたということがありました。これやはりいろいろさまざまな要素ありますけれども、一つは家族あるいは教育ということがだめだった理由に言われましたね。公式、非公式にかかわらず。結局それが根底にあるということを我々は経験しているわけで、今安孫子委員がお話しされた、今後そのことについて我々は一体どういうふうに今までしてきたのか、それからじゃあこれからどうしたらいいのかということは、我々仙台市の行政かかわりの深いことであるだけに、議会としても考えていかなくてはならないのかなと私は思っておりますけれども、例えばこの件について委員の皆さんの御意見はいかがでしょうか。 64: ◯柳橋邦彦委員  今渡邊次長の方から、仙台というのは住みよいまちとして高いランクだという話が。確かにいろいろなデータで、何月何日のこのデータというふうには挙げられないけれども、一般的な漠然とした印象の中でそういう感覚は内外ともに持っているんだろうと思うんです。感覚的にはわかるんですけれども、具体的に仙台市の何がよくてそういう評価を得ているのかということの分析をする必要が、経済的側面あるいは都市整備的な側面、いろいろな側面から見てはっきりしておく必要があるんじゃないかなと思うんです。  私は仙台生まれ仙台育ちで、今までずっと仙台にいるわけだけれども、その仙台のよさというのは何なんだろうと思ったときに、いいところも挙げられるけれども残念なことも挙げられる中で、どうも最近はやりだから言うというわけでもないんだけれども、どうも古いものというものを余り大事にしてこなかったのではないのかなとちょっと考えまして、そうすると、古いものというものは身の回りの生活用品から、あるいは建物とか、すべてのものにかかわるということで、仙台に本当に根づいた古いものというのはお祭りを除いて一体何があるんだろうかと考えると、そういった意味ではどう浅薄なまち、半端に新しくて、決して古いものが何も残っていないというまちをつくってきてしまったのではないかということは一つあるのかなと。市電初め。ちょっと誤ったかなみたいなところがあるんじゃないのか。そういうところをもうちょっときちっと私たち一人一人が確認をすることが必要なのではないのかなという。  先ほどの先生のお話もまことにそうで、それと委員の方々の疑問や意見の表明もまことにそのとおりで、大変視点はずれていなくて、いいなと思いました。が一方では、地域経済の成り立ちの今の現状というものを考えますと、やはりリーディングカンパニーが全体を引いていく、あるいはリーディングファクトリー、トヨタのようなところが何かを引き上げていくということに大変力を感じますけれども、実は仙台市の地域経済というのはそういう側面で育ってきたところは何一つないということだと思います。第三次産業がもう圧倒的にあって、サービス産業でいわゆる消費都市というふうな、一括して言えばそういうことで歴史を重ねてきてしまったというところがあります。  そういう現状と東京エレクトロンやトヨタと言われているのは、もう世界レベルの企業が急に出てこられて、私たちはそれについていけないはずです。そういうときどういう現象が起きるかというと、せっかく出てきたメーカーは地元から物を買わないで、全部子飼いの下請の工場なりなんなりを引いて持ってきて、あるいは時間的な空間的なものがどんどん狭まっているんで、居ながらにしてあっという間に翌日に必要なものがもう手に入る時代だということになってくると、果たして仙台市の地域経済にとって今までの歴史の積み重ねの中である今の現状の中でどうそれがマッチングしていくのかということに大きな問題点があるんではないのかなということをちょっと感じるんです。  ですから、立ち返って言いますと、今仙台がいいと言われているものは一体何なのか、あるいはマイナスだと思われるものは何なのかということのあたりをやはりしっかりベースを踏まえないと、上積みといいますか、そのお話だけで滑っていってしまうと、ここに大きく取り残されている、例えば地元の中小企業の社員たちの生活ってどうなっているのというところあたりがかけ離れていってしまうと、地域経済活性化というのは一体何なのということになってくるから、そこもあわせてぜひ視点として入れておく必要がある、議論の中でやっておく必要があるのではないかなと感じています。 65: ◯鈴木広康委員  今柳橋委員が言ったようなことで私も思うんですけれども、先ほど東京エレクトロンという話があって、私もやはり仙台の企業さんは中小企業が大変に多いんじゃないかなという思いの中で、例えば大企業が来るというところで、大企業が来たときに今既存でいる仙台の企業との連携をどのようにやっていけばいいのかということを、基本的に企業同士ですから企業同士がうまくやればいいということもあると思うんですけれども、仙台の地域経済の活性化ということになれば経済局があるわけですから、その中でこういう情報が東京エレクトロンが来ると、連携とれる企業はこんなところもある、こんなところもあるというような連携の部分でマッチングできるようなものがあったり、または、やはり仙台ではないところ、周辺に大きな工場を建てるとかという情報があれば、仙台の方からアプローチをして、行政アプローチをして、我々はどんなことがこれから必要不可欠なものになってくるのかと、先ほども教育とかいろいろなお話がありました。そういうものをいち早くやはり、こちら側から積極的に言ったらおかしいんですけれども、やっていかないと情報は得られないと思うし、待っていたのでは多分幾ら大企業がこの近くに来るといっても、活性化につながる道筋というのはなかなか、今待っていて来る時代じゃないと思うので、そういうところに特にやはり目を向けていかなければならないのかなと思います。  私なんかも松下電器の名取の工場にいたんですけれども、やはり名取の工場なんですけれども仙台工場と言いますよね。仙台工場と言います。そういうイメージです。だから、仙台にないんですけれども仙台なんです。そこをやはりどういうふうに仙台市が、我々が地域経済の活性化につなげていくかということが問題ではないのかなと思います。 66: ◯委員長  今鈴木委員の御発言に関してですけれども、渡邊次長、仙台では企業のデータベース前につくりました。そのことについて何かコメントを。 67: ◯経済局次長  いろいろな企業のマッチングでありますとか、いろいろな情報提供を目的として、我々製造業なんですけれども、データベースを持っております。  ただ、これずっと運用していまして、企業側の自分で情報の書きかえというんですか、リニューアルするようなシステム、それでいろいろな企業がアクセスしていって情報を得るというシステムをとっておるんですけれども、なかなかそのリニューアルの方がやってもらえないという状況がございまして、今ちょっと見直しを考えておりました。どういう形がいいのか、少し時間をかけて今見直しをして、そういったいろいろな情報を企業同士で拾える、あるいは出せるようなシステムをまた見直し考えてまいりたいと考えております。 68: ◯委員長  対外的にはそういうデータベースがありますよということは何らかの方法で情報発信しているんでしょうか。 69: ◯経済局次長  ホームページでやっております。 70: ◯委員長  あると。あるんだけれども、いま一つこれからだということで、大事なシステムだなと思います。 71: ◯佐藤正昭委員  いい方に考えていくと私はいいと思います。企業が来るんですから、それに対応していく。企業が来ることによって副産物的なものがいろいろ来る。大和町に来るんだけれども、しかし住むのはほとんど仙台ですよと、これは当たり前のことなんです。だから、そういうときに仙台という我々は宮城という目を持たなければいけないし、我々は東北という目を必ず持たなければいけないということなんだろうなと思うし、じゃあもう一つ、すべてそういうものも含めてすべてグレードアップしていかなければいけない、魅力をつけていかなければいけない、成長をとめないようにしなければいけない、努力を怠らないようにしなければだめだと、そうすることによって仙台というものが魅力があるから、多分宮城が魅力があるから来たんじゃないんです。仙台に魅力があるから東京エレクトロンも来て、今いろいろな企業がここに目をつけている。例えばアエルビルをああやってファンドが来たというのも、仙台が魅力があるから来たんで、今そして、森トラストだってどこだって、そういう来ようとしているところは仙台がこれからも発展し続けていくまちだからということでこの仙台に来てくれているんだろうなと思う。  そういうことで、私はこの努力を怠らないとか、だからこれということじゃないんです。すべてのことについて、文化も学術もすべてということで、遊びも含めてすべてなんだろうなと思う。だから、すべてのものがかかわっているんですよね。例えば一つ例を挙げれば、今このごろ言われませんけれども、劇団四季ということが来るということもこのまちの魅力の一つで、こういうことを常に言い続けなければいけないです。ちょっと今トーンダウンをしてしまっている、何かうーんという形だけれども、こういうことを常に言い続けて、コンタクトをとり続けていって、実現させる、具現化させるということが大切だと思うんです。私はやはり何事も具現化したり実現しなければだめだと思うし、我々の委員会だってやはり具現化に向けて、実現に向けて意見を活発に取り交わしていきたいなと思うんで、私はそういうことで、いいことなんだから、これを利用する、対応する、そういう先ほどどなたかが市民の意識ということを言われましたけれども、まさにその市民側の意識を変えていく作業というのが大きいんだろうなと。ああ来たよという他山の石みたいで、自分のことなんだと、「ああ、来たの!」と、「じゃあ住宅も売れるし、文化も進むし、いろいろなものを売れてしまうよね」と、「もう本当にみんな潤うよね」という形の考え方に、仙台の人はどうしてもちょっと今までどちらかというと守りの考え方というのが多かったんだけれども、もう少し攻めの考え方に転換を仙台市民がしていくと、もっといいまちにこのまちはなる、それをほかの外の人がそう見ているんだから、それ以上に我々はもっといいまちなんだという意識、できるんだという意識を持った方がいいんじゃないかなと思っています。 72: ◯柳橋邦彦委員  そのとおりなんです。特にいいと思う意見は、東北という視点というとらえ方というのは是が非でもこれから私たちが持っていかなければならない仙台の一つの使命として、存在の理由として、東北というものに目を向けたさまざまな展開というものが実に大事な時代にこれからなってくるということは見えていると思うんです。だから、そこがまず絶対失ってはならない視点の一つ。  だから、今うわさになっているさまざまな会社も確かに仙台がいいと思って来ているんだけれども、その仙台のよさは何によって構成されているのかということが大事ですよね。それは地政学的な問題が非常に大きいだろうし、それは交通の要でもあるし、さまざまな要件があるんだけれども、その背景にあるものは何だろうかといったときに、やはり一仙台のよさというものに加えて、やはり後発だからよかったという面における東北のよさ、環境のよさも含めて東北のよさというものがやはりそこに評価点になってくるのではないか。  俯瞰してみたら、東京や名古屋や大阪や九州やっているところの地価あるいは人のお給料の問題といったことをみたときに、これ東北だけが何か一つここだよね、ここしかないよねというのが。やはりそれは企業の論理であるし、最後のところはそこに行くんだろうということを考えたときに、やはり東北全体でそういったものをバックアップすることで、イコールジャパンの力になっていく、潜在力、底力になっていくという、その底力のもとがここにあるというあたりを、やはり私は今の佐藤委員の意見の中から吸い取るなと思います。 73: ◯委員長  今、御意見をいただきました。  先ほど参考人のお話にもありました輸送システムのお話の中で、港湾、海、それから道路の話がありました。もちろん鉄道もあるわけですけれども、これは本当に仙台市だけではない東北全体、宮城県、東北全体でも見なくてはいけないわけです。ただ、残念ながら海の港も空の港も仙台は所管外になっている。でも大事な、仙台市には切っても切れない大事な機能です。  そういう点でも、輸送システムについての御意見はいかがでございましょうか。先ほどの参考人の意見に賛成だということでもいいですし、こうだという提案があればなおありがたいと思いますけれども。さっき安孫子委員のお話で酒田の話出ました。酒田につながるという一方お話もあるんですよね。酒田にどんどん運んで、酒田から流れていくだろう。参考人の意見は、いや酒田はそういう機能を持っていないというお話でしたけれども、いろいろな意見があるかなと。 74: ◯柳橋邦彦委員  酒田って重要港湾じゃなかったですか。違いましたっけ。新潟と仙台だけですか。 75: ◯委員長  道路がつながったというのが一つの視点だったですかね。酒田がこれからだって。それは一つのお話ですけれども、輸送システムに関して仙台市としてどうしたらいいか。
    76: ◯佐藤正昭委員  私が今その視点の輸送システムということと交流システムという二つの側面があると思うんです。そんな中で、さっき先生も言っていたけれども、ここは半導体の製造機械なり、そういうものを輸出していく。だから、そんな大きなものは要らないんだということで、私多分そうだと思うんです。大きなそういう何か工場みたいなものはどうしても中国とかインドとかロシアとか、そういうところなんだろうなと。  仙台の生きていく、これから仙台がやろうとしていることは、東京エレクトロン、半導体、仙台と。そうすると、さっき先生が言ったように観光で来てくれる、ネームバリューが上がると観光に人が来てくれるという副産物があるわけなんです。技術というもので観光に来てもらったり、そうすると、我々が考えるのはその輸送というシステムよりも交流できるシステム、人々が交流できるシステムの方がよりいいんじゃないかなと。  イタリア行ったときに、イタリアなんかは観光で何にもないのに、こんなものをこんな大きく「すごいんだぞ、すごいんだぞ」と言って、人に来てもらって、そうやって何百年と暮らしているんだと。ずっと昔から300年もそこのまちのお土産屋しているんだという発想があるわけです。そういういい楽天的な発想を少し仙台市民も逆に見習うこともあった方がいいんじゃないかな。私はそういう交流の方の交通システムというか、そういうものに力を入れていく方が、仙台の生きるところとしてはいいんでないかなと思っているんですけれども、いかがですかね。 77: ◯柳橋邦彦委員  物流の交通システムの話ですけれども、今度例えばセントラル自動車というのは、あれはカローラの大工場ですよね。これがもし本当に来たとなると、先ほど先生おっしゃっていましたけれども、20万トンクラスの自動車専用貨物船を今のあそこじゃだめだと。じゃあ何によって完成車を運ぶんだといえば、釜石だと言っている。釜石の分は金ヶ崎の関東自動車が、マークIIとかああいうものをつくっているらしいですけれども、それは今度トンネルが新しく釜石に抜けるトンネルができて、あれはあそこで着々と進んで釜石から船積みしている。もっと急ぐ分については4台、5台、8台といったぐらいの少量のやつを車両輸送用トラックでこっちに運んできている。陸路で4号線で。そういう今システムなんだけれども、この間新聞を見ていたらJRが車両輸送専用の貨車を製造をこれからしていきますというようなことをお話しになっているということを聞くと、やはり大工場、半導体はそんなに大きなものは要らないわけでありますが、完成したものを工場から出荷して世界にデリバリーをするときの途中の横持ちです、横持ちの国内の輸送路については、JR貨物の果たす役割というのはますます大きくなってくるんじゃないか。ヨーロッパはまさに自家用車でも自分の乗る列車にその自家用車を乗せて、自分も客車に乗って移動するシステムがとてもよくできていますよね。ああいう鉄路を使った、軌道式を使ったものが見直されてくるんじゃないかしらと思うんですけれども。そうじゃないと出荷に間に合わない。 78: ◯委員長  バルセロナの話を突然持ち出しますけれども、とても仙台と似ているなと思って見てきました。あそこは今国際空港があります。国際空港があって、港湾があります。観光用の港湾と商業用の港湾と分けて、それから鉄道が空港まで入ってくるんです。パリまでつながる鉄道。もちろん道路もあります。仙台と似ていると。小さいとはいえ港があって、空港がある。高速道路も今度関東までつながります。バルセロナ大都市圏みたいなイメージで都市計画をしているわけです。  先ほど委員の皆さんからお話ありましたけれども、東北をにらむべきだということで、仙台都市圏、東北という中でそういう輸送システムを見ても、その種はあるんではないのか。我々所管外だけれども、でも発言は必要なのではないかと。 79: ◯安孫子雅浩委員  やはり今、例えば国内で見ていったときに、首都圏はもう昔から元気で、今中部圏ですよね。あそこもセントレアができて、あそこのトヨタの城下で、あと関西は昔から力がある。九州の方を見ると、北九州港の話もありましたけれども、福岡はもうアジアに向かって、フィリピンとかあっちの方近いし、中国も近いから、福岡なんか行くと、福岡は国際線のあれがもう一つ全く別にあります。あれ一つが仙台空港ぐらいの大きさがあって、便数もすごく多いのがすごくうらやましいんですけれども、そういう中にあって、やはりはっきり言って東北・北海道、そして四国あたりはちょっと違うんです。  そういう中の東北なりがこれから900万、950万の人口を抱えた6県としてやっていくときに、どう知恵を出し合うかということだと思うんです。総合力を持っていかなければ、この国内においてもということになると思うんですが、ただ私その中ですごく気になるのは、今南東北の中の福島、山形、仙台市が3市の市長も今連携を図るのに議会もそういう枠組みをつくっていただいて、少しはまとまりができ始めているというのはすごくいいことだと思います。  ところで、じゃあ北はどうかなと言ったときに、岩手、秋田、青森は、いろいろ行ってみたり、視察してみたり、あるいはいろいろ具体的に議員なんかと話をすると、こっちの方を向いていないんです。私たちはもう北東北でありますと。特に青森なんか行くと、青森はもう全く仙台から青森行くのと仙台から東京行くのと距離同じですよね。アクセスはあっちの方が悪いから、この間函館に行ったときに驚いたのは、函館はもう完全に青森とツインシティーという打ち出しをしているわけです。港祭りなんかあっても、もう函館と青森がねぶたとイカ踊りと相互に乗り合わせて、市内と取り巻く大パレードの踊りをやるわけです。そういう青森に対して、いや、ところで仙台は東北の一番大きな都市で、東北の中の中枢都市として頑張りたいんでよろしくお願いしますと言っても、見向きもされないということなんだろうなと、これ前に会派で視察に行ったときにちょっと感じたんですけれども、私たちはもうこれからは函館、札幌とやっていきますと、新幹線も通りますからということも言っているという経緯があるんです。  そうすると、東北としての総合力を求めるという理屈なり理想があっても、現実として今動いているのは南東北と北東北というのは分かれている。福島行っても私感じるのは、福島市はこっち向いているかもしれません。ただ、ほかに大きないわきとか郡山という同じ30万圏のところはもう関東圏だと思っていますよね。東北圏だと思っていないので、そうすると本当に最後まで一緒にやってくれるというか、仲よく何とか合意形成を図ってやっていきましょうと言えるのは、山形、仙台、福島市ということであって、岩手の方も今北上とか、先ほど柳橋委員おっしゃいましたけれども、北上あたりももうあっちはあっちで元気のあるところですから自己完結型に貿易なりなんなりやろうと思って、そういう理想なり理念というものを私たち持ってこうしようと思っていても、現実の経済界なり産業界なり行政というのは既にかなり動いてしまっていて、かなりのもう色分け、色づけがされているというのはやはり現実であるということの認識がやはり当然ながら必要で、その上でやはり私たちどうすべきかということの視点が今必要なのかなというふうに思っております。 80: ◯柳橋邦彦委員  だからこそ、仙台市のそこに今までの歴史的な過程とこれからの役割というものが私はまさにあるんだと思うんです。  確かにおっしゃる今の現状の認識も正しいと思います。そうだろうなと思うけれども、例えば青森まで、函館までの新幹線はまだもうちょっと先で、これまだ今のところ何年かわからないし、わかっているのは青森までは延びますよということを今盛んに工事完成目前となって、そうなると青森の人たちは北海道だけ向いていないで、必ず新幹線に乗ってこっち来ます。また、こっちからもあっち行きます。そういうことで、自然と一体感がそこに出てくる可能性が今あると思います。  確かに気持ちの上としてちょっと交わりにくい、距離が遠いということもあるし、非常に特殊的な気候の問題とかさまざまなことで、なかなか北と南という意味では一致しにくいけれども、やはりそれぞれ持っているよさというものが東北6県にあるわけで、あえて私今まで言葉で出してこなかったけれども、道州制がやがてそういう形になっていったときの中心地に本当はどうなんですかというふうに考えれば、今からそのことの準備のために、何遍も言っているように仙台の今のありよう、存在理由をやはり今からしっかりと認識しておく必要があるのが仙台市及び仙台市民の役割じゃないかなという意味で、さっきから何回か同じようなことの…。 81: ◯委員長  きょうは参考人が企業活動環境の整備という視点でお話しされました。いろいろ示唆を受けたという御感想もいただきました。企業活動の環境整備は結局人が住む、そのことだということでした。  渡邊次長の説明で仙台は全国でも高い評価のランクに入っている。その高い評価の実態はどうなんだということについて柳橋委員から分析視点の、どこがよくて、どこが足りないんだという御指摘だったと思いますが、そういうことがございました。  企業データベースの取り扱いについてもそうですけれども、その辺の現状認識、そして弱いところ、足りないとはっきりきょうは言われたわけですけれども、言われたことについてどういうふうに仙台がしていくのか、その中で我々の調査特別委員会の所管の中でどういうふうに取り組んでいったらいいのかということなんだろうなときょうお話を御意見をいただきまして、そう思った次第でございます。  まだまだ御意見はあろうかと思いますけれども、委員会まだ何回か予定をしております。次回視察もございます。多分その視察を踏まえた上で、またこのテーマについて具体的かつより深い御意見がこれからいただけるのではないかというふうに思います。 82: ◯経済局次長  先ほどの質疑の中で酒田港、重要港湾のお話ございました。仙台塩釜港は特定重要港湾という位置づけでございまして、その下のランクで重要港湾というものがあるんですが、酒田港はそちらの重要港湾の方にランクされております。 83: ◯委員長  はい、ありがとうございました。  今補足ありましたけれども、この件については御質問は。 84: ◯安孫子雅浩委員  特定って東北であとどこあるんですか。八戸。 85: ◯経済局次長  全国で23港ございます。東北であるかどうか、あと確認して。 86: ◯委員長  はい。どうぞよろしくお願いいたします。  以上で意見交換を終了いたします。  それでは、次に他都市視察についてでございます。  前回の委員会で日程を11月6日から7日ということで御了承いただきましたけれども、正副委員長で相談をいたしまして調整しました結果、別添(案)どおり京都市は京都リサーチパーク株式会社、滋賀県は草津、琵琶湖南部エリアの新産業創出ということでまいりたいと考えております。  また、視察への当局の御同行についてでありますけれども、経済局から渡邊次長さんに御参加いただく予定にしておるところでございますけれども、よろしくお願いをいたします。  皆様のお手元に日程、予定表、2枚ございます。予定表と視察(案)についてお渡ししてございます。このとおり進めてよろしゅうございますか。 87: ◯安孫子雅浩委員  京都リサーチパークというのは何回か仙台市議会としてもここに視察に行かれてましたでしょうか。              〔「初めて」と呼ぶ者あり〕 88: ◯委員長  初めてのところということでございますので、勇んで行きたいと思います。よろしくお願いいたします。  それでは、このようなことで進めてよろしいでしょうか。             〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕 89: ◯委員長  それでは、皆様にお話ししたとおりの予定地、そして行程でまいりたいと考えます。  それでは、次に次回の委員会についてでございます。  前回の委員会で年間の委員会の開催計画案をお示ししていたところですが、副委員長とも相談の上、年が明けて来年、1月28日月曜日午後1時から開催したいと考えておりますが、いかがでございましょうか。             〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕 90: ◯委員長  それでは、そのように決定させていただきたいと思います。  なお、次回の委員会においては前回と本日の有識者からの意見聴取及びこれから行われる他都市視察を踏まえて委員相互の意見交換を深めてまいりたいと考えております。  参考までに、本市がこれまで取り組んできた仙台フィンランド健康福祉センタープロジェクトについての資料をお手元にお配りしてありますので、どうぞ後ほど御高覧をお願いしたいと思います。  ほかになければ、以上で地域経済活性化調査特別委員会を閉会いたしたいと思います。...